
“自分の手で何度でも光を取り戻せる” —— 僕が目指す「LOVE & PEACE」のカタチ【前編】
心温まる作品を通じて「LOVE & PEACE」のメッセージを発信し続ける あべせいじさん。あべさんのアートスタイルのひとつである「光る絵」の誕生秘話と作品に込めたメッセージ、そして、あべさんの考える「楽しめる作品」について語っていただきました。
自分の絵をきっかけにして、たくさんの人とつながりたい —— そんな想いから始めた作家活動
—— 現在はグラフィックデザイナーとして働きながら、作家活動もされているとのことですが、作家活動はいつ頃から始められたのでしょうか?
8年くらい前からだと思います。作家活動をはじめた頃から、夏に友人とアベフジ展という『二人展』を開催していて、それが2017年で8回目を迎えました。ですので、そのくらいかなと。
—— どんなきっかけで作家活動を始められたのでしょう?
きっかけは色々ありますが、大きなものでいえば「デザインフェスタ」への出展です。
デザインフェスタって、もの凄い数の来場者数なんです。年齢も性別も本当にさまざまで。外国の方もたくさん話しかけてくれて、いろんな方が自分の作品に対して感想を言ってくださったんです。これまで、そんな体験をしたことがなかったので、すごく衝撃的で刺激的でした。こういった場所で作品を発表すると、こんなにも得るものがあるのかって。
自分の絵をきっかけに、いろんな方とお話できることが本当に楽しくて、こういう体験をもっとしたいなと思い「二人展」を始めました。

あべせいじさんの作品
—— 「二人展」以外の活動もされていますか?
現在、東京に常設で展示してもらっているギャラリーがあります。「Picaresque(ピカレスク)」というギャラリーなのですが、そちらのオーナーさんがとってもユニークな方なんですよ。
一面白壁の一般的なギャラリーではなく、人が住み生活しているような空間に作品を展示して、もっと気軽に暮らしの中に作品を飾ってもらおうと『生活に密着したアートの促進』をテーマに、展示やイベント企画、作家さんのサポート等を行っているギャラリーなんです。僕もそのオーナーさんの想いに共感して、作品を置かせてもらっていて、年に一回、個展も開催しています。
—— 生活に密着したアート。とても興味深いギャラリーですね!
そうなんです。最初はアパートの一室を借りて始められたみたいなんですが、そこから何度か移転して、今はおしゃれな隠れ家のような空間で運営をされています。一般的にイメージされるようなギャラリーとは、だいぶ印象が違うと思いますよ。
「ウチでもこうやって飾ったら素敵かも」って、作品を自宅に持ち帰ってからのイメージが湧きやすいように、展示の仕方を工夫されていて。作品のサイズや価格も、気軽に楽しめるものが集まっています。
どんなテーマであっても、温かく優しいイメージで伝えたい —— LOVE & PEACEに込めた想いとは
—— あべさんは、平面以外に立体作品も作られていますが、Picaresque ギャラリーでの展示をきっかけに立体作品も作るように?
いいえ。立体作品を作り始めたのは、東日本大震災の影響が大きいです。
僕の出身が宮城県なんですが、暗く落ち込んでいる被災地を見て、「自分の作品を通して、皆さんに少しでも元気になってもらいたい」という気持ちと、「日本には失くしてはならない素晴らしいモノがたくさんあるんだ」という世界に向けて発信したい気持ちとが相まって、宮城県ゆかりの「こけし」や、日本の伝統的な「ダルマ」などをモチーフに、立体作品を作り始めました。
—— 震災を目の当たりにして、何かしたいという気持ちが自然に湧いてきたんですね。
そうですね。気がついたら作り始めていました。当時は、チャリティーや復興支援イベントなどがたくさん開催されていたので、そちらに出品もしました。

—— あべさんのテーマである「LOVE & PEACE」は、震災をきっかけに生まれたのでしょうか?
はっきりと言葉にはしていなかったのですが、おそらくそれよりも前から「LOVE & PEACE」というコンセプトで、作品を作ってきていたと思います。
—— 「LOVE & PEACE」は、あべさんにとって作品を作る上での根源的なものだと。
こういうコンセプトで作っていますよって、言葉で表すようになったのは最近になってからですが、よくよく振り返って考えてみると、小学生の頃まで遡れるような気がします。
学生時代に「平和」をテーマにポスターを制作することがあって。武器や悲惨なシーンをモチーフにしたインパクトのある作品が多かった中、僕はそういうのではなくて、温かくて優しいシーンを描くことで、Peacefulなものを失ってはダメなんだよっていうメッセージを込めた作品を作りました。その時に、どんなテーマであっても、自分は温和なイメージを使って伝えたいんだってことに気がついたんです。それをきっかけに「LOVE & PEACE」という言葉を明確に意識するようになりました。
小学校5年生の時に、『しまふくろうのみずうみ』という本の読書感想画を描いたんですが、僕はフクロウのお父さんとお母さんが木に止まっていて、そのまわりを森の動物たちが囲んでいるという平和な場面の絵を描きました。そのフクロウの絵と、これまでに描いてきた絵は全部つながっているなって思います。
あと、小学生の頃の絵を見ると、今とほぼ同じような描き方をしているんですよ。小さいものがたくさん集まって、ひとつの大きな何かになっている。そんな絵を無心で、何か別のものになったかのような感覚で描いているんです、今も昔も。そういうのが幼い頃から好きだったんだなぁって。表現したいもの、やっていて楽しいと思うこと、そういった根源的な部分って、全然変わらないんだなって思いますね。
ユニークな先生たちとの出会いが、描くこと、そしてモノづくりの楽しさを教えてくれた
—— 小学校5年生のときのお話がでてきましたが、絵はいつ頃から描いていたのでしょう?
小学校5年生のときの図工の授業が、今のものづくりの原体験になっていると思います。当時、絵を描くことの楽しさを教えてくれたとてもユニークな先生がいたんですよ。
先ほどの『しまふくろうのみずうみ』の絵も、その先生からの「フクロウがいる夜の森を描く」という課題で描いたものです。今でも覚えているんですが、課題を発表したときに、先生が「夜の絵だからって、黒色をバーって塗って夜を描いちゃダメだよ」って言ったんです(笑)。子どもだし、夜で暗いから黒色だって思うじゃないですか。でもそれはダメだよって言われてしまって。だから、子どもながらにすごく悩みましたね。考えた末、青色、黄色、紫色… いろんな色を混ぜ合わせることで夜を表現したのを覚えています。
そのフクロウの絵は、先生がコンクールに出してくれたり、家では家族がすごく褒めてくれたりして。今でも実家に飾ってあるんですけど、皆に褒めてもらったことがすごく嬉しくて、それが今のものづくりにつながるきっかけになったんだと思っています。
—— その先生は、図工が得意な方だったんですね。
そうですね。絵がすごく好きな先生で、生徒たちにはいつも好きに描いていいよって言いながらも、とてもアーティスティックなことを条件にしてきて、本当にユニークな方でしたね(笑)。描いたり作ったりすることが好きになったのは、その先生のおかげかもしれません。
—— 逆にそんな小難しいことを言われたら、図工が嫌いになっちゃう子もいそうですね(笑)。
図工が特別に好きではなかった子にとっては、面倒くさい先生だったと思います(笑)。でも先生の言っていることを色々やってみると、作品にオリジナリティーが出て良くなっていったんですね。だから僕は、この先生はすごく良いことを言うなぁと思っていて、図工が面白くてしかたありませんでした。

—— 中学・高校でも絵を描く機会はありましたか?
中学・高校ではサッカーひと筋だったので、積極的に絵を描くことはなかったです。でも卒業後の進路を決めるタイミングで、高校の延長のような普通の大学に進むことが、すごくつまらなく感じたんですね。もっと特徴のある学校に進学したいと思い始めた頃に、デザインを学べる大学が新潟にあることを知って、そこへ行くことに決めました。
—— 大学ではデザインを学ばれたんですね。
絵を描くことが好きだったこともあって、大学ではグラフィックデザインを専攻しました。東京でアートディレクターとして活躍していたF先生に師事したんですが、その先生からはすごく影響を受けましたね。
—— そのF先生は、どんな方だったのでしょう?
僕が大学生の頃も、デザイン業界ではすでにパソコンを使って仕事をすることが当たり前になっていたのですが、そんな時代でもF先生は、実際に手を動かしてモノを作ることをすごく大切にされている方でした。ご自身が手を動かして何でもやってきた世代の人だったからだと思うんですが、B1サイズの大きなポスターも、全部手描きで仕上げてきなさいねっていうような課題が何回かありました(笑)。

—— レタリング(文字)もすべて手描きですか?
そうです、全部です。
はじめは正直なところ、今どき筆と烏口(からすぐち)を使って、文字まで手で描くのかよって思いました(笑)。でも実際に手を動かしてみると、パソコンでネット検索しながらアイディアを考えるよりも、アイディアの広がり方が違いました。より独自性の強い作品を作れるようになるので、アナログな制作はやっておいて良かったなと思っています。あと、精神力、忍耐力もつきますからね(笑)。
—— デザインの基本を学べる貴重な授業ではあったと思いますが、若い学生ですし、昔のことよりも今の最先端を学びたい!とは思わなかったのでしょうか?
学生によっては、そう思った人もいたと思います。流行りのデジタル系とかWEB系を選択した人ももちろんいました。なので、最終的にF先生の研究室に入ったのは、僕みたいな手を動かす “アナログな仕事” が大好きな人たちばかりでしたね。
—— F先生からは、どんな影響を受けたのでしょう?
たくさんありますが、ひとつは「自分のスタイルを忘れないこと」ですね。仕事で作るものは仕事で作るものだから、本当に作りたいものは、自分の時間を使って作品として作り続けていきなさいねって、よくおっしゃっていました。今デザイン事務所で働きながら作家活動を続けているのは、その言葉の影響が大きいです。
—— 業界でご活躍されていた方が、自分の作品づくりも大切にして欲しいとおっしゃっていたのは、ちょっと意外ですね。
業界の人だったからこそ、その業界のことをよく分かっていたんだと思います。例えば、自分ではAがよいと思っているけれど、クライアントはBでいきましょうと言ってくる、そういうことは仕事ではよくあります。
そうであっても、自分はこうだ!と思ったものや、本当に良いアイデアのものは別案できちんと作っておく。それは自身のスキルアップにも繋がることだし、デザイナーやアートディレクター、作家にとっては必要なことだよね、と。
文:mecelo編集部 / 写真:林 直幸
後編では「光る絵」シリーズの誕生秘話から、“光” に込められたメッセージ、そして今後のチャレンジについてお話いただきました。