
描くことで自分の “言葉” を見つけた画家が目指す “人々をつなぐ” 絵とは【前編】
おぼろげな背景に浮かぶ建物や遊具や人。記憶のもつ曖昧さや儚さを感じさせる作品を描く濱野裕理さん。インタビュー前編では、濱野さんが表現者を目指すに至った経緯から描く姿勢、そして描き続けるために自ら苦手分野を克服されたエピソードについてお話しいただきました。
絵と出会い、想いを伝えられる喜びを知った
—— いつ頃から絵を描いているんですか?
高校から美術系の学校へ通っていたのですが、高校進学をきっかけに絵を描き始めました。そこから現在に至るまでの約15年間、ずっと絵を描き続けています。
—— 高校進学の時点でアートの道を選んでいますが、当時からすでに作家を目指されていたのでしょうか?
実は、そんなことは全然なくて(笑)。私の場合、もともと絵がすごく得意だったわけでも、すごく好きだったわけでもないんです。
中学卒業後の進路を考えていたときに、“みんなと一緒のことはしたくないな” という漠然とした思いがあって。そんなときに仲良しの友人から、美術を学べるこんな高校があるんだよと教えてもらって、「ここに行ってみたいな」って、何となく興味を引かれたのがきっかけでした。

—— 当初は、絵を描くことにあまり興味がなかったそうですが、いつ頃から、どんなきっかけで表現することにハマっていったのでしょう?
もともと私は人とコミュニケーションをとることがすごく下手で、言葉で想いを伝えることがすごく苦手でした。とくに学生の頃は、今のように長い時間、人と会話を続けるなんてことはほとんどできませんでした。
でも「描くこと」に出会って、言葉に頼らない、言葉を超えた表現方法というものを見つけたんです。言葉を介さなくとも、描くことで自分の想いを伝えることができる。その喜びを知ってからは、どんどんのめり込んでいきましたね。
—— 描くことで相手と通じ合えることを知った具体的なエピソードはありますか?
学校内の展示会で、言葉だけでは自分の作品を上手く説明できなかったときに、「なんかすごくいいよね」とか、「ここが素敵だね」と褒めてもらえることがよくありました。
また、自分以外の人たちの作品を見ても、言葉を使わずとも絵で自分を表現しているんだなということが伝わってきたので、絵を描くことで想いを伝えられるんだということを確信したんだと思います。
濱野 裕理さんの作品
私にとって、描くこと = 生きること
—— 高校卒業後、大学も美術系の大学へ進まれます。
絵を描くことに、すっかりのめり込んでしまったんです。このままずっと絵を描き続けていきたいという強い思いもあったので、美大へ進むことはごく自然な決断でした。
—— いろんな選択肢があった中で、描くこと以外の道に心が揺れることはなかったんですか?
高校時代は、本当に描くことしかしていなくて(笑)。時間さえあれば、学校でずっと絵を描いているような、そんな毎日でした。本当に、絵を描くこと以外は何もしていませんでしたね。
—— 何も!?
はい。実は中学ぐらいまで、自分の生き方とか「自分って何?」みたいなことにすごく悩んでいて。自分らしく生きる感覚というか、生きている実感みたいなものが全く感じられなかったんです。
そんな時に “絵を描くこと” に出会って、自分を表現できる場所を見つけたんです。絵を描いている時はすごく楽しくて、充実した気持ちになります。なので、私は一生描くことをやめないんだろうなって、そう思っています。

—— 高校で絵に出会い、それから一度も他の道を考えることなく、今に至るわけですね。
そうですね。でも、大学を卒業してすぐの頃は、作家としての活動場所が全然なくて、すごくしんどいし苦しくて、「もう絵はやめようかな...」なんて考えたこともありました。
—— なぜ、やめずに続けることができたのでしょう?
いざ、やめる!ってなって、しばらく絵を描かなかったら、すごく不安になったんです。描いていない自分に価値を見い出せないというか。自分はいったい何のためにここにいるんだろう?って、どんどんネガティブに考えてしまって。
たぶん、絵を描いているとき、表現しているときの自分が好きなんだと思います。
—— 楽しく描いているときの、生き生きとした自分が好きなんだと。
はい。大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとって、描くことと生きることはまさにイコールなんです。私は、描いていないと生きていけない。なので、これからもずっと、一生描き続けていくんだと思います。
もちろん、うまく描けなかったり、納得のいくものができなかったりして、描くことでイライラすることも、悩むことも、苦しくなることもたくさんあります。でもそれよりも描けないことのほうが、私にとっては何倍もしんどいことなので。
どんなにつらく、大変でも、“自分にしか作れないもの” とか、“自分にしかできないこと” って何だろう?って考えると、やっぱり私には絵しかないんだなって実感しますね。

描くことが、私を変え、そして支えてくれた
—— 現在は、美術作家として表現活動をメインに生活されているんですか?
今は、創作活動とは別に、アートとは関係のないお仕事もしていて、両立しています。
両立はもちろん大変ですが、最近は、絵を描いていない時間というか、絵のことを考えない時間も自分の “経験” になると感じています。
社会とのつながりの中で気づいたことや、日々の生活をおくる中で考えたことなどが、作品のインピレーションにつながることもあるので、絵とは全く関係のないことをしている時間というのも、描くためには必要なのかなって。
—— とはいえ、仕事では相手とコミュニケーションをとらなければいけない場面も多そうですね。
今は違いますが、以前は7年ほど接客の仕事をしていました。苦手な対人コミュニケーションを克服しようと、あえて人と関わることの多い仕事を選んだんです。
制作中は、自分自身と向き合う時間はたくさんある反面、人と話したり、外に出ていく機会は減ってしまいます。そういった状態が長く続くと、さすがにちょっと気がおかしくなりそうになる時もあるので、創作から離れた場所に身を置ける仕事というのはよい気分転換になります。
—— 7年も接客の仕事をしていたら、コミュニケーション力もすごく上達したのでは?
そうですね。今このようにインタビューを受けて、普通にお話できていますので。以前は、人と話すことが全くできなかったので、かなり上達したんだと思います。
まさに、荒療治というか(笑)。ここで自分にムチ打たないと一生変われないんだ!って、必死な思いから始めた接客の仕事だったのですが、やってみたらやってみたで楽しいこともあって、人と普通に話せるようにもなって、挑戦して本当によかったです。
—— 苦手分野を克服するには、それ相応の覚悟が必要だったのではないかと想像します。なぜこのように頑張ることができたのでしょう?
本当に、覚悟も勇気も必要でした。でも、「変わりたい!」、「自分の殻をぶち破りたい!」という強い思いが私を突き動かしました。
幼少期からとても厳しい家庭環境で育った私は、自由に外出したり、気軽に自分の意見を言うことさえできませんでした。そのような制約の強い世界で生きるうちに、いつしか私は自分というものを見失っていきました。
でも絵と出会い、心の奥底からふつふつと湧き出てくる情熱が、この私にもあるんだ!ということに初めて気がついたんです。描くことで自分を表現できることを知ってからは、自分自身を見つめ直し、そして自分が本当にやりたいこと、なりたい自分の姿を想像し、それを実現するために活動するようになりました。
苦手なことに向き合っていたときは、何度も「私には無理だ」って挫けそうになりましたが、そんなときは私の中のこの強い情熱が、つらいときでも心が折れないようにと、私の背中を支え続けてくれました。
文:mecelo編集部 / 写真:上野明季
後編では、心象風景を描き続ける理由や絵を通して伝えたいこと、そして今後のチャレンジについてお話しいただきます。