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会社員からイラストレーターへ — 時流に乗った転身【前編】

『しずくふたつ』シリーズが代表作のイラストレーター佳矢乃さん。その繊細で可愛らしいタッチのイラストは、挿絵やグッズなど多くの企業から依頼がくるほどです。そんな順調なキャリアの一方、プライベートでは親との関係、夫婦の関係に悩まれた時期がありました。前半では佳矢乃さんのアトリエである廃校になった小学校で、会社員からイラストレーターになるまでの道のりを軽快な関西弁でお話してくださいました。

縁を紡ぐ『しずくふたつ』シリーズ

—— 『しずくふたつ』シリーズは佳矢乃さんの代表作になっていますね。

すべて対の絵を描いているんですが、ある時、感じたままにアクリルガッシュやポスターカラーに描いたことが始まりなんです。

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描き上げた時に、言葉で説明するのが難しいくらい自分の中に至福感が溢れてきて、「これを描けただけですごい嬉しい!」って心から思ったんです。

実は後日談もあって、その絵を恋愛関係で悩んでいた友人に誕生日プレゼントとして贈ったんです。
そうしたら偶然なんでしょうけど、その1週間後に新しい出会いがあって、良い展開になって、私も嬉しくなって(笑)。描いていて至福に浸れた絵なので、その絵の持ち主が幸せになってくれてすごく嬉しかったですね。

—— 個展はいかがでしたか?

この2年間で4回も『しずくふたつ』の個展をさせていただいて、本当にありがたいです。

私は描く時に、「こう描いてやろう」という狙いは消すようにしているんです。
私が道具になって、インスピレーションとして感じたことや浮かんだことを絵に落とし込んでいくので、むしろ“描かされている”気がします。

依頼主がいるわけではないのでインスピレーションだけで好きに描けますし、お客様の反応を直接見ることができるので個展は楽しかったですね。

このシリーズは全部で35点ほど描いたのですが、本当に次から次へとご縁をいただいて、数点しか手元に残らないという嬉しい状態が続いています。

事務職からイラストレーターへ

—— 大学は芸術系ではなく、日本文化学科をご卒業されているんですね。

子どもの頃から絵を描くのが好きで大学は美大に行きたかったんですが、親に反対されてしまって・・・。
田舎に暮らす親なので、美大を出た後の仕事の幅を知らないんです。そんなの就職できないでしょって。

親の猛反対もあったので勉強して関西学院大学に入学して、卒業後は5年ほど会社員として働いていました。

—— 就職のときも、絵に関わる仕事を考えたりしなかったんですか?

その時は、まったく(笑)。ファッションに興味があったので、神戸市内のアパレル会社に就職しました。ミセス向けの洋服を卸している会社で、そこの受注・発注をまとめる事務の仕事をしていましたね。

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—— イラストレーターになったきっかけはどんなことでしたか?

就職して2~3年経った頃にバブルがはじけて、業務縮小で私もグループ会社に出向させられることになったんです。

出向先はクレジットカードを扱う部署で、小売店のクレジットカード管理や顧客管理をしていました。

ある時、上司に「誰か、チラシを描いてくれへん?」と言われて。「私、描きましょうか?」って描き始めたんですよ、久しぶりに。
そうしたら「うまい!」って褒められて、次に会社の年賀状を描くように指名されて、15人ほどの社員の似顔絵を線画タッチで描いたら、「似てる~」って(笑)。

その頃には私の中でも、可愛くおしゃれに仕上げたいという絵に対するこだわりがあって、キャラクター的にデフォルメして配置もこだわったら、社長が「ええやん!」ってすごく喜んでくれたのを覚えています。

それにちょうど、ひとり一人にパソコンが導入された頃だったんです。
パソコンを使えるのはこの人だけという時代から、一人一台に。その時に会社がフォトショップとイラストレーターを導入してくれたので、遊びのように使い始めたのがイラストレーターを目指すきっかけになりました。

その後1年ほど、夜は大阪でイラストレーター養成スクールに通う生活が続きましたね。

—— スクール卒業後は、順調にお仕事も増えていったんですか?

最初のお仕事はスクール内で生徒向けに公募されたもので、全員が応募した中から、ひとり選んでいだだけました。
初ギャランティは5千円。今考えたら激安ですけど、お仕事をいただけて、作品が世に出たことがすごく嬉しくて。

「この仕事を続けたい!」と思って、卒業する直前には関西中のデザイン事務所や出版社に作品を持ち込みました。それで少しずつお仕事をいただけるようになりましたね。

—— 20年前のイラスト業界は、どんな感じだったんですか?

私はイラストレーターになった時期に恵まれたと思います。一般的にパソコンが普及し始めた時だったので、パソコンとプリンターを買ってデータ納品までできたんです。

それまでは原画を送る方法だったのに、急にクライアントからMO納品を指示されて。CDではなくてMOの時代ですよ(笑)。

それでホームページで自分の作品を公開して、納品もデータでできるなら、働く場所ってどこでもいいって思ったんです。仕事場がどこでも、東京や大阪の仕事が受けられますし、満員電車に乗る必要もないですから(笑)。

結果を出せば愛される
と信じていた子ども時代

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—— 子どもの頃は、どんなお子さんだったんですか?

あまり親子関係はうまくいっていなかったですね。
親から無条件に愛されてないと思い込んでいて、親に対して素直に心が開けませんでした。

今思うと、親は親なりにすごく愛情を注いでくれて、独自の愛情の注ぎ方をしてくれたんだと分かりますが、当時はそれが分からなかった。だから、頑張ったら愛されると大きな勘違いを重ねていっちゃったんだと思います。

でも頑張っても疲弊していくばかりで、自分で高い壁を作っていることに気付かないまま、がむしゃらに頑張って、「どうして私、こんなに報われへんのやろ」って思ってました。その繰り返しでしたね。

—— 今はご両親と同居されているとお聞きしましたが、以前の関係とは変わりましたか?

子供の頃に健全な親子関係を築けないままだったので、大人になった今、もう一度、親子関係のやり直しを迫られました。

昔は自分の気持ちをうまく言葉にできなかったことが、大人になってようやく言葉で伝えることができて、私が傷ついていたことも伝えて、親自身も傷ついていたことを知って、謎解きのように解れていって・・・。

同居するようになって、お互いの想いをぶつけ合って、初めて理解できたことも多かったですね。最近ですもん、仲良く話せるようになったのは。

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—— 家族との関係を変えようとするのは大変ですよね。

実は12年前に離婚していて・・・。その時も大きな痛手を負いましたが、たくさんの気付きがあったことも事実です。

離婚した後に、子どもの頃からの記憶を遡ってやり直して、一つひとつ私の土台を取り戻すことを繰り返していったんです。それで少しずつ自分に自信が持てるようになった気がします。「頑張らなくてもええんや」って。

この変化って、仕事にも影響していたと今は思うんです。
例えば、それまでは自分の仕事の価値を仕事相手にうまく伝えられなかったんですが、自分の土台が癒されていくごとに「私はもっと交渉してもいいんだ」「これぐらいの価値を私が提案してもいいんだ」と思えるようになりましたから。
時間はかかりましたが、ちゃんと自分の心が癒されたのを感じましたね。

文・写真:mecelo編集部

後半ではイラストレーターとして活動する中での悩みや、佳矢乃さんが絵を通して伝えたいことについてお聞きしています。

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Data佳矢乃

イラストレーター・アーティスト