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光と影、多様性と普遍性、強さと弱さ ー 相反する要素をテーマに “人間” を表現し続けていきたい【前編】

「人間という存在そのもの」をテーマに、流れるような美しい作品を描きつづけるKayo Nomuraさん。そんなKayoさんが、ご自身の “得意” を捨てて “好き” を選び、これまでの経歴とは180°異なるアーティストとして活動されるようになったきっかけや、経緯をお話しいただきました。

世界を舞台にバリバリ働きたいと思っていた20代

—— 以前は、外資系企業や海外で働いていたそうですが、もともとアーティストになろうと考えていたわけではなかったんですね。

大学の頃は、得意な英語を活かして、海外でバリバリ働きたいと思っていました。小学校時代のほとんどをアメリカで過ごしたこともあって、英語はけっこう得意だったんです。そのスキルを活かして、もっと広い世界を見てみたいと思っていました。

それに、うちはサラリーマン家庭だったので、絵を描くことが好きだから美大へ行くとか、運動がすごく好きだから体育系の大学に進学するとか、そういった発想がそもそもありませんでした。普通の大学に行って、就職して、その会社でずっと働き続ける。こういう選択肢しか、私にはないんだと思っていました。

—— 絵を描くこと自体はお好きだったんですか?

幼稚園とか小学校の頃は好きでした。とくにアメリカの小学校ってすごく自由で、生徒個人のクリエイティビティを発掘するような授業が多くて。なので、けっこう自由に、楽しみながら絵を描いていました。当時は、絵を描くことがすごく楽しかったのを覚えています。

帰国してから入学した日本の中学校では、絵は写実的に描かないと良い評価がされなくて。実際にそうであったのかは分かりませんが、私は学校の評価をそういうものだと捉えていました。絵というものは、ちゃんと正確に描写しないとダメなんだって、勝手に思い込むようになってしまって。それで、だんだんと絵からは遠ざかってしまいました。

—— 学校で評価されない = 才能がないと感じられたんですね。

そうですね。あと中学では、小学校低学年の頃から続けていた器械体操部に入部したんですが、始めの頃こそ経験者だった私は誰よりも上手だったのに、そのうち中学から始めたという子たちのほうがどんどん伸びていったんです。

それをみて、私は絵を描いたり、身体を動かすことは大好きだけど、特別に上手いわけではないんだなって。そうなると、私にできることは英語しかないのかなって。それで大学は英文科に進んで、卒業後は英語を活かして海外経験もつめるような会社を受けました。

—— そこから外資系企業や海外勤務と、まさに思い描いていたような人生を送られたのでしょうか?

いえいえ、なかなか思い描いたようには進まず...。新卒で入社した会社は、日常的に英語を使う機会もなければ、海外転勤を任命された女性社員は40歳以上の方ばかりで。ああ、ここにいたらあと20年は海外に行けないんだなと悟って、外資系の会社に転職しました。

でも、ここでも約4年間働いたんですけど、一度も海外へ行く機会はやってきませんでした(笑)。外資系の会社ということで、日常的に英語をつかう機会はあったのですが、海外へ行くという夢は一向に叶うことはありませんでした。

そうこうしていたら、3.11が起こって。そのとき私は17階にあるオフィスにいたので、すごい激しい揺れを体験しました。「いつ死ぬかわからない!」って、全身で感じたことを覚えています。ニュースで被災地域の映像を見ては、「日常って、いとも簡単に崩れ去ってしまうんだな」って。

それをきっかけに「そもそも私は海外に行きたかったんじゃないの?」って、忘れかけていた初心を思い出したんです。このままこの会社にいてはダメだって、外資系の会社を辞めて、その年の秋頃から、ご縁あってシンガポールで働き始めました。

02

“必要だから” ではなく“好きだから” 始めた、絵を描くこと

—— ようやくシンガポールで、長年の夢だった「海外へ行く」ことが叶いました。でもなぜそこから180°というか、まったく世界の異なる “アーティスト” へと転身されることになったのでしょう?

たしかに、海外へ行きたい!という願望は、シンガポールに住み、働くことで実現はしました。でも、入社した会社がベンチャーだったこともあって、本当に毎日毎日すごく忙しくて。週末は寝て一日がつぶれる... みたいな日々をおくる中で、ふと「私がやりたかったことって何だったんだっけ?」「私はなぜこんなにも海外に行きたかったんだろう?」って掘り下げて考えてみたんです。で、私は「日本から逃げ出したかったんだな」ってことに気づいたんです。

—— どんなことから、逃げ出したかったんですか?

私は幼少時代の一時期を海外で暮らしたことで、自分のアイデンティティはどちらにあるのか?と悩んだり、私の中には「日本人の私」と「日本人ではない私」の両方が存在していると感じたりすることが度々あって。

「日本人ではない私」のほうが前に出ているときは、日本という国はすごく和を重んじていて、かつ出る杭は打たれるといった風潮があることにすごい窮屈さを感じていました。自分をすごく抑圧している感覚があったんです。海外に行けば、その抑圧から解き放たれて、もっと自由になれる、そんな気がしていました。

—— 実際は、どうだったのでしょう?

結局、環境を変えても何も変わらないんだってことを知りました。日本で勤めていた頃に、人間関係でつらい思いを経験したんですけど、海外に行っても同じように人とはぶつかるし、つらい思いもする。課題というか、苦しいことって、世界中のどこに行っても変わらずにあるんだなって。環境ではなく、自分を変えない限りは何も変わらないんだってことを身をもって理解したんです。

—— シンガポールにいても、根本的な解決にはならない。それに気づいて、日本に戻ることにしたんですか?

そうですね。「私がこのままシンガポールに居続ける意味はあるのか?」と。あとは、ちょうど結婚のタイミングとも重なって、日本に戻ることにしました。

シンガポールの会社を辞めて無職だったので、まずはやることを考えなければいけなくて。私は長年、「私には英語しかない、英語しかできることはない」と思い込んでいたので、とくに深く考えずに通訳や翻訳の仕事をと考えていました。そんなときに夫から「何をしてもいいと思うけど、どうせなら好きなことをやったほうがいいんじゃない?」と言われて。

「自分にできることは英語しかない、だからそれを活かして生きていくしかない」って、当たり前のように考えていたんですけど、夫から「そもそも英語が好きなの?」って聞かれたときに、すぐには答えられなくて。これまで英語が好きかどうかなんて考えたこともなかったんですよ。でも掘り下げてみたら、私は別に英語は好きじゃないなって。必要だからしゃべっているだけで、好きの対象ではないことに気づいたんです。

Kayo Nomuraさんの作品

Works1

—— ずっと海外に行きたいと願って、それこそが自分の生きる道だと思っていたのに...。

好きではないということに気づいたものの、それってある意味、私のこれまでの人生を全否定するようなことでもあるわけで。

あれだけ英語しかない!って思いながら生きてきたのに、実はそんなに好きでもないことが分かって、じゃあ私って一体なんなんだろう?って。私というイメージがポロポロと崩れていくような感覚に陥りました。おそらく、半年くらいは悶々としていたと思います。

でも、人と会って話をしたり、好きな本を読んで過ごすうちに、そういえば幼稚園とか小学校の頃は絵を描くことが好きだったなって、なんとなく思い出してきて。そういえば、なぜか自宅に色鉛筆などの画材もあるな。じゃあ、絵を描いてみようか、そう思ったんです。

—— “必要だったから” から “好きだから” へと判断軸が変わって、純粋に好きだったこと、楽しかったことを思い出されたんですね。

はい。それで、絵の教室を調べてみたら、たまたま家の近くにあったので、体験講座に参加しました。そうしたら、そこの先生がすごくユニークで自由な方だったんです。植物の絵を描いていたんですが、色を塗る段になって、先生に「これは緑色で塗るんですよね?」って念のため確認したら、「なんで緑じゃないといけないの?」って、逆に聞かれて(笑)。「私は今、紫色の気分なんですけど、紫色で塗ってもいいですか?」「もちろん、いいですよ!」って。

それをきっかけに、絵って自由だったんだなって、長年抱いていた絵のイメージがよい意味で崩れていきました。それから、ずっと絵を描き続けています。

03

輝いている面だけでなく、影の面もすべてを表現したい

—— 現在は、どんなテーマで作品を描いているんですか?

幼少時代をアメリカで過ごしたこともそうですし、旅を通していろんな国の人々に出会ったことや、私自身が経験した会社員時代の人間関係の悩みだったり、そういったことから人間という存在そのものや関係性というものにすごく興味があります。

世界にはいろんな人がいるという「多様性」と、その一方で根っこにある生物としての「普遍性」。「大胆ながら繊細」や「強弱」、「光と影」といった人間のもつ二面性、その両極の要素を併せもった表現に魅せられて、描き続けています。

—— 相反するふたつの要素が、Kayoさんの作品では共存しているんですね。

いろんな自分がいると思っています。たとえば、仕事をしているときの自分と仲の良い友人たちといるときの自分って、同じ自分でも出している「顔」は違います。また、すごく生き生きとしている元気な自分もいれば、この世の終わりだとひどく落ち込んでいる自分もいる。

人間って、常に一定ではないですよね。人間関係にしても、上手くいっているときもあれば、ケンカするときもある。恋人の場合であれば、別れてしまうことだってある。

いつもキラキラしていられるわけではないし、輝いているのはたった一面だけであって、人間にはもっといろんな面、それこそ多面体のようにさまざまな顔があると思っています。なので私は、キラキラと輝く一面だけではなく、その裏にある影の部分も含めて、全部を表現したいと思っています。光も影も、結局は同じひとりの人間がもつ要素なんだと。

—— キラキラだけではない、影があってこそ人間なんだと。

SNSって、基本的に自分のきれいな部分しか出さないじゃないですか。特にトップモデルやアーティスト、有名人は、常にかっこいいとか、おしゃれとか、そういう輝いているイメージを求められるし、ご本人たちもそういったイメージを広めようとしているように感じます。

もし、仮に自分がトップモデルや有名人になれたとしたら、彼女たちのようなキラキラな人生を送ることができるのかと言ったら、そうではない。たった一面しかない光の面だけをみて、人はものごとに憧れを抱くけど、ものごとってもっと立体的で、光の当たっている部分もあれば、当たっていない影の部分もあって。いろんな面があるからこそ面白いんだって、私自身の過去の経験からそう感じています。

生きていくことって、いいことばかりではない。でもそこから新たに気づいたり、学んだりすることはできるし、学ぶことでより深みのある人間になっていくと思います。私は自分の絵の中に、光り輝く部分とダークな影の部分を共存させることで、「人間の中にある多様性を受け入れて生きていくことや、影だと思っていた部分も意外とそんなに悪いもんでもないんだよ」って、そんなメッセージを伝えていきたいですね。

04

人との出会いによって広がっていった世界

—— 絵を描き始めた当初と、作風は変わってきているんですか?

すごく変わりました。変わってきていますね。

描き始めた頃は、動物を描いてました。アクリル絵の具をつかって、けっこう力強い感じの動物をたくさん。でも、個展を何度か開催して、これからどうしていこうかなって考えたときに、「なんで私はこんなにも動物ばかりを描いているんだろう?」って、なんとなく動物を描き続けていくことに行き詰まりを感じるようになったんです。「自分が、本当に表現したいことを表現できているのか?」って。

その場で悩んでいてもしかたがないので、気分転換に2週間ほどニューヨークに行きました。アーティストにとっての憧れの地でもありますし、そこに集まってくるいろんなアーティストさんと出会うことで、何かしら刺激を得ることができるかもしれないと思ったんですね。

—— ニューヨークに行ってみて、いかがでしたか?

滞在を通して感じたことは、「もっと自分が表現したいように表現したらいいじゃん!」ってこと。

ひとりお会いしたアーティストさんで、音楽家だけど絵も描くという女性がいて。歌っているときに湧いてくるイメージを絵に描いて、それをポストカードにして販売していました。彼女にとっては、音楽も絵も表現のひとつであって、表現方法がひとつ増えた!くらいの感覚で絵は描いてると言っていました。

実はニューヨークに来る前、けっこうくすぶっていたんです。描き出した頃は純粋に描くことが楽しかったのに、個展を開催して、たくさんの方に応援していただけるようになって、気づいたらいつも他人の評価ばかりを気にしながら描くようになっていたんです。

絵が売れなければ、「売れないのは、美大を出ていないからだ」「基本的なデッサン力がないからだ」「画材のことをよくわかっていないからだ」とか...。皆こんな風に思っているに違いないって、勝手に思い込んでは自分を責めていました。

—— そのように思いつめる、具体的なきっかけはあったんですか?

具体的なきっかけというよりは、「きちんと絵を学んだ経験もないのに勢いだけで個展を開いて、たまたま今は上手くいってるけど、私にはそもそものバックボーンが何もないじゃない!」って、美大へ行っていないことや、専門的に学んだ経験がないことへの不安や焦りが、人の目を過剰に意識させていたんだと思います。

でもニューヨークで、音楽家でもあり、絵描きでもあるという彼女に出会ったことをきっかけに、吹っ切れました。彼女もそうだし、ニューヨークで出会ったアーティストの多くは、美大を出ていない自己流の方ばかりだったんです。だから「もっと自分がやりたいようにやったらいいじゃん!」って、思えるようになりました。

—— 人との出会いによって、道がひらけたんですね。

そうですね。実は大学のときにも、考え方を180°変えてくれた出会いがありました。当時は京都の同志社大学に在籍していたんですが、国内留学制度をつかって一年間だけ東京の早稲田大学に通っていたんです。そこで出会った同い年の子が、すでに一人旅とか、アメリカ横断とかしているような、思い立ったらどんどん行動するような子で。

その子から一人旅を勧められたときは「一人旅なんて怖いじゃん」って思ったんですけど、「同い年の子ができているんだったら、私にもできるかもしれない」って考え直して。まずは日本に近いアジアからスタートして、でも気がつけば最終的にはインドやヨーロッパまで一人で旅して回っていました(笑)。

自分の人生を振り返ってみても、人との出会いをきっかけに、世界がどんどん広がっていったなって思います。そういう意味でも、「人に興味がある」という点は、自分の中では外せない大切な部分だと思っていて。私は絵を描くことで、世界や人々と関わり合っていきたいんだなって、思っています。

文・写真:mecelo編集部

後編では、描き始めてからどんどん変化しているという作風について、そして自らもとても“自分らしい”アプローチだと捉えている「ダイアローグ・ドローイング ー 対話から生まれる描画」について、詳しくお話しいただきます。

Kayo Nomuraさんインタビュー 後編はこちら

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