お使いのブラウザは動作保証対象外です。詳しくはこちらをご確認ください。
01

本当の自分にたどり着く ー 37歳で画家になるまで【前編】

画家活動をスタートして、わずか数年で活動の場を広げている松崎大輔さん。「調和」と「共生」をテーマにカラフルな色使いと力強いタッチから、希望と優しさを醸し出す作品を生み出しています。37歳まで絵を描くことから離れていた松崎さんは、うつ病の発症や小学校教員の経験、フィリピンでの生活を経験して、画家という自分がいるべき場所にたどり着きました。今回は松崎さんが画家活動をスタートするまでのご経歴と、画家としてのミッション(使命)についてお聞きしました。

ドラゴンボールやドラクエを描いていた子どもの頃、誰に見せても褒められた絵

—— 37歳で画家活動を始められましたが、小さい頃から画家になることを意識していましたか?

特に考えてはいませんでした。でも絵を描くのは大好きで、小学生の頃はよく漫画を描いていましたね。

最初は学校のノートに、当時流行っていたドラゴンボールやドラクエのモンスターを模写して描いていたと思います。それを見せると、友達や先生から「上手い!」と褒められたので、僕の中にも“僕は絵が得意なんだ”という自覚が生まれていました。

中学では水泳部に入ったので、部活で忙しくて絵を描く時間はありませんでした。高校、大学はバンドを組んで8年ほどベースを弾いていたので、中学以降は絵から離れていましたね。

だから僕は、画家を目指してずっと描き続けていたわけではなくて、絵を描くのが好きだった子どもが37歳で画家になった珍しいパターンかもしれません。

02

—— たしかに美大を卒業される方が多い中で、画家としての道のりは異色ですね。

美大で学ばれた方に対しての憧れはありますが、僕は絵を描くことが大好きですし、得意だったという記憶もあるので、好きなものを気が済むまで描いてみたいという思いからスタートしました。

—— ご自身のプロフィールでも公開されていますが、20代は病気の治療で大変だったんですね。

大学を卒業して社会人になるという時に、うつ病になりました。いろいろ頑張り過ぎてしまったんだと思います。20代前半はほとんど動けなかったので、就職もできなくて・・・ほぼ寝ていた期間ですね。
少し動けるようになったのが26~27歳でしたが、それでも病院へ通い家では寝ているだけの生活だったので、20代はうつ病の治療に専念していました。

それから学校の先生になるために勉強をして、通信で教員免許を取って小学校の先生になりました。でも結局、仕事がハード過ぎて2年で辞めることになってしまいました。

職や場所を変えても消えない悩み

—— それからフィリピン(マニラ)に行かれたのは、どんな理由があったのですか?

もともと英語が得意だったので、以前から英語圏でちゃんと英語を勉強したいと考えていました。ちょうど2010年頃から比較的安いフィリピン留学が流行り始めていたこともあって、マニラで学校に通って就職先も見つけて、結局4年半マニラにいましたね。

03

—— マニラでの生活は楽しかったですか?

当時は絵とは一切関係のない仕事でしたし、“何をしてもしっくりこない”という悩みをずっと抱えていました。
大学卒業後にうつ病を発症したことから始まって、嫌々仕事をしてフィリピンにまで来て「これは、本当にやりたい事はこれなのか?」とそんなモヤモヤを抱えたまま36歳まで生きてきました。何をやってもピンとこない、そんな感覚です。
このモヤモヤを抱えたまま生活をしてきて、行き詰ってしまったんでしょうね。一度人生をリセットしたいと思って、2016年11月に帰国しました。

—— 日本に戻ってきてからは、どんな生活を送っていたのですか?

マニラでは「僕は本当は何をしたいのか?」が分からなくなっていました。
だから帰国してからはひたすら、それまでの36年間の人生を振り返っていました。「本当は何をしたかったのか?」「何がしたいのか?」振り返って探して、探して振り返って・・・。そのヒントを求めて、自己啓発や心理学の本もたくさん読み込みました。

突破口を探し続けていた時にふと、子供の時に絵が好きだったことを思い出したんですね。画家になりたいとかではなく、好きだった絵を好きなだけ描きたいという衝動に駆られました。

—— “ふと”絵を描くのが好きだったと思い出したんですか?

カウンセリングの本にも、『無条件で夢中になれたこと、子どもの頃に好きだったことがヒントになる』とありましたから、自分に当てはめてみたんです。そうしたら、バチっとはまりました。
もちろん高校・大学で熱中したベースも考えましたが、さすがにバンドをやろうとは・・・。好きの度合いも絵とは違ったのかもしれませんが、37歳でベースを自分の人生の軸にしようとは思えなかったですね。

絵だったら今でも描けると思って、ノートに鉛筆で描き始めたのが今の画家活動のスタートです。心のリハビリのために好きなことをとことんしてみたい、楽しいからどんどんやっていきたい、そう思いました。
それが2017年の初めだったので、画家としてのキャリアはまだ2年半と短いんです。もっと細かく言うと、絵具で描き始めたのは昨年の6月からなので、本格的な活動はまだ1年ちょっとですね。

—— すごい行動力ですね。

基本的に動いていないと気が済まないタイプなんですよ(笑)。
最初は絵を描くだけで、自分の絵を販売するなんて考えていませんでした。ものすごい勢いで1日何枚も何枚も、アルバイトをしながら時間がある時に描いて、描いて、描きまくりました。
そのうちに普通の色鉛筆ではない、油性の色鉛筆で描くようになってから自分の世界観が出せるようになった気がします。それから1年後くらいに、知り合いが1枚の絵を気に入ってくれて、3,000円くらいで売れたのが最初ですね。
そこから絵を売り始めましたが、やっぱり売れるようになるまでは1年以上かりました。

04

お互いの存在を認め合える社会を求めて

—— 最初に売れたのは、どんな作品だったか覚えていますか?

絵本のようなタッチの太陽と子供の絵でした。

—— 作品の中には、太陽がよく描かれていますね。

僕はよく太陽を描くんですよ。画家になる前も鉛筆で描いて色鉛筆で色を塗って、何枚も描いていましたね。
太陽に限らないのですが、僕のアートのテーマは「調和」と「共生」なので、基本的に動物や自然を描くことが多いんです。その中でも太陽はよく使う題材ですね。

—— 「調和」と「共生」を作品に込めようと思ったのは、何がきっかけだったんでしょうか?

僕は今までいろいろ挑戦しましたがうまくいかなくて、苦しい思いをたくさんしてきました。その中で、人間のエゴや傲慢さも見てきました。
綺麗ごとと思われるかもしれませんが、競い合うだけの社会は勝っても負けても幸せになる人がいるのだろうか疑問に思っています。本当は、人間同士もお互いをリスペクトしながら生きられる世界を作るべきなんじゃないかって。

僕は、今は時代の転換期だと思っているんです。人間同士で争いが起こるなんて、今の社会は限界にきているって。そんな人間に対して、動物や自然は弱肉強食はありますが、基本的に自然の中で絶妙に関わり合いながら存在しています。
必要以上に相手に干渉せず、必要以上に相手を傷つけず、お互いを認め合うということを動物や自然から学ぶべきだというのが僕のアートのテーマです。自然と同じリズムで、人間も動物や生物たちと調和して生きていく意識を持った方が、社会が良くなると考えています。

だから、自分たちのエゴで相手を打ち負かすことだけを考えていないか、もう一度立ち返ってほしいという警鐘も込めて、動物や自然を描いています。その中の1つとして、僕らを見守ってくれるイメージの太陽を描いたり、小さな魚たちを見守っているイメージでクジラもよく描きますね。

05

—— 人間のエゴや傲慢さを垣間見たというのは、具体的にどのようなご経験があったんですか?

いろいろありますが・・・。たとえば今世間でもパワハラが問題になってきましたが、僕も散々そういう目に遭ってきました。

でも、今は変わりつつあります。世の中の動きは「大組織の時代から個の時代へ」、「力でねじ伏せる時代から支え合う時代へ」と変わってきています。だから僕たちはこのことに気付いて、価値観をシフトさせていかなければいけないんです。
僕は一人でも多くの方に僕の絵を見てもらって、そのことを感じ取ってほしいと思っています。

文・写真:mecelo編集部

画家としてのスタートが遅かった理由として、それまでのつらいご経験を穏やかに、淡々とお話してくださいました。後半では、本当の自分を生きる大切さと画家としてのミッションについて詳しくお聞きしています。

松崎大輔さんインタビュー 後編はこちら

パートナーを募集中ですあなたも、松崎大輔さんの創作活動を支援しませんか? パートナープランごとに素敵なリターンが用意されています。